FUJIFILM X-T1 GSE + FUJINON XF35mmF1.4 R
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー。
彼の「ピアノ協奏曲第1番」は、
それをささげたモスクワ音楽院院長のルビンシテインに
酷評された。
「ほとんどを書き直さなければ、演奏することはできない」
チャイコフスキーは答えた。
「私は1音も変える気はありません。このまま出版します」
翌年、この曲はボストンでの初演で大成功。
まず彼はアメリカで認められた。
それにつづくサンクト・ペテルブルグでの演奏では、
なんとルビンシテインが指揮をつとめることになった。
その3年後に完成した「ヴァイオリン協奏曲」は、
評論家に「悪臭を放つ音楽」とまでも言われる。
しかしその後、ヨーロッパ中で人気を獲得していく。
チャイコフスキーが生まれ育ったロシアの田舎の体温と、
ヨーロッパの感性が絶妙に融合した、
新しい時代の音楽。
認められるには、少しばかり時間が必要だった。
バレエ振付家、ジョージ・バランシンは語る。
「曲がはじまるや否や、チャイコフスキーだとわかる。
まぎれもなく彼だと。
そうまでさせる人は、多くはありません」
モスクワ音楽院院長のニコライ・ルビンシテイン。
実は、チャイコフスキーの親友だった。
しかしこれがきっかけで仲違いをすることになった。
後日、ルビンシテインはチャイコフスキーに詫びを入れることになり、
晴れてルビンシテインはピアノ協奏曲第1番を演奏するようになったのだが、
チャイコフスキー自身も酷評されて気が付いたのか、少々気になる部分があり
曲の一部分の修正をしたのだった。
やがて修正された曲が、現在も演奏されている「
Piano Concerto No.1 in B flat minor, Op.23」となった。
そして、3月23日が1881年に旅立ったニコライ・ルビンシテインの命日。
昨年、我が愛するAlice Sara Ott と(笑)、アンドレス・オロスコ=エストラーダ(音楽監督・指揮) フランクフルト放送交響楽団のコンサートでこの曲を聴きましたが、まるで夢心地のようでした。
クラシックというと気難しいおじさんが、口に泡を吹きながらうんちくを語るなんてことも多々あるのですが、私はそういうの苦手です。そんなに詳しくないし、拘りもないし、ジャズやボサノバ、ロックやポップスなどと同じようにもっと自然に気楽に楽しめればいいと思います。